『紡ぐ』 ― 綿やまゆからその繊維を引き出し、よりをかけて糸にする。(旺文社国語辞典より)
あれから一年、時間の経過を“やっと”と感じるか“もう”と感じるか、それは人それぞれの抱えるもの、おかれた境遇によって大きく左右されることと思います。いまだ行方を追えない方々にあっても3000人を越える状況、それだけでも現状の厳しさを物語っているかと思いますが、ただそれら数字だけでは筆舌し難き残された傷の深さ、その痛手は今もなお多くの人々の心中に大きくそして重く刻まれています。
思い出すことなどない、なぜなら忘れた事がないから
この一年と言う時の経過の中で流れた計り知れなき沢山の涙は、多くは失われたものへの失意と悲哀に満ちた涙であったのかもしれません。ただ一方で大切なものに気付き得たことへの涙もまた…。失ったものは確かに多くあります。でも我々の中には得たものもまた決して少なくなかったのではと、そうあって欲しいと重ねて思うのです。
絶望とは希望を失うことではない、足を前に踏み出す意志を失うことなのだと
この時の中で人それぞれは様々な思いを胸に抱きつつここまで生きてきたのだと思います。復興とは何か、援助とは何か、社会とは何か、お金とは何か、心とは何か、善意とは何か、悪意とは何か、誇りとは何か、日常とは何か、非常とは何か、明日とは何か、今とは何か、生きるとは何か、死ぬとは何か、自分とは何か、他人“ひと”とは何か、居場所とは何か、絆とは何かと。苦悩と葛藤を介し自らの視点を己自身にそして世界に配せて来たのではないかと思うのです。
あれから一年、そしてこれからも 今というこの時を、そして明日へと
糸を紡ぐこと。そこには長年の培われた技術と心・根気が宿ります。より良き糸を紡ぐことは容易くはないはずです。 まさに“より”をかけるわけです。まだまだこれからです。様々な技術や沢山の心が必要です。 決して切れることの無い、それは気持ちの糸であり、絆の糸であり、より良い糸を紡いで生きたいと思うのです。『ぜってぇ負けない』ってみんなで誓ったあの時を忘れないように。
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