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2011年3月

2011年3月31日 (木)

pray for japan! hope for japan! show your heart! show my heart! がんばろう日本!

 震災から今日で3週間が経つ。都内では桜も咲き出した。

 あれから努めて普通に生活しながらも、節電はもとより、情報の収集から配信、物資支援、募金活動にチャリティへの参加。出来ることは全力でやって来た。あまりにもの惨状に途中気持ちが萎えて沈み込んだ日もあった。そして3週間という時間が過ぎ去った。

 地震がおきてまもなくその惨状をテレビで目の当りにした。それから一日が経って災害のエキスパートたちは早かった。すでに現地に入って状況を報告していた。何が起きているのか。情報を基に先ず望まれること。1、人命救助=捜索/救命 2、物資(a.衣類/防寒着→下着(特に女性用)→靴下類 b.毛布・布団/ダンボールも有効 c.飲料 d.マスク、タオル等 e.薬品類/生理用品・おむつ(早急)等 f.ラジオ/無線機等) 3、4、医療/生命維持・メンタルケアー等含む、食料(日保ちする物)

 先ず1.救命、必至最優先事項、と同時に現地進入規制がすでに引かれた(人員/車両共に)。つまり僕らが出来ることは2.物資。ただ情報収集に5日掛った。そもそも何が出来るのか正直全くわからず、結局動けたのは17日以降。知っている人から知らない人まで即席ながら組織だって動く。情報の収集/配信、緊急物資調達、搬送車両の確保、許可取得。全て同時進行。そして搬送/搬入へ。

 僕たち素人が初動段階で出来たのはここまで。如何に迅速にそして的確に動くか、それが求められる。しかし現場は燦々たる状況。物資は相当な勢いで集まっていたようだが、そこからが全く動かないのが現地の実状。ただそこまで冷静に組織だって物事を動かせるほど余裕のある者など誰もいない。そのときから今現在に到っても課題なのは現地での援助格差。ただその後その点においてもやはり機敏に動いたのは官より民のようだ。少しずつ現地のボランティア達の手で解消していると聞くが…。(無責任な言い方になってしまうが…)

 ただ現地での話、やはり物資の仕分けから配送するまですべてが素人だということ、そしてすべてが被災者であるということ。送る側にもある程度の配慮がないと向こうも混乱すると言うことだ。こちらですでに仕分けたものを送る。ダンボールに品/個数の記載は当然、男性用女性用、サイズ、すべてこちら側で仕分け済みにしておくのがむしろマナーだと言える。

 あとどちらの側でも言える事だが、男性は女性のことが正直判っていない。例えば品受け時、その物資が至急か否か、必要かどうかを判断する目線が男性目線だと女性モノはどうも後回しになりがちだということ。生理用品がまず遅れたのはそこにあるのかも知れない。“女性は力仕事にむかない”ではなく、その品定めで実は非常に重要。物資援助の各段階での女性の必要性は指摘される。

 後これを言って良いのかどうか判断に困るが、聞くところによると、食料品が消費期限の有無を理由に被災者には届かず窓口で処理?消費?されてしまうことがあると聞いた。期限のある食料品を送ること事態どうかとは思うが、その話にはただちょっと驚いた。

 また収集調達の時点で基本日常品は企業、法人に要請し、そこから貰い受けることを薦める。個人にそれを要請してしまうと、手元にあるもの以外に店頭にあるものを物資として調達してしまう方もいらっしゃる。それは確かに善意からのもので咎めはしないが、本末転倒、決して適切ではない。ただそこは結局、要請する側の配慮でどうにでもなる話ではある。

 そこまでは実労として民間が最低出来る範囲だったが、あくまでもこれは繋ぎでしかない。まだまだ課題は山積している。実際今も現場で多くの災害ボランティアの人たちが活動している。それでも官がイニシャティブをとって、しっかりとしたシステムを作るまでの繋ぎでしかない。そして今日各地方自治体に対し545人の公務員応援要請が出されていた。

 そして最後にもっとも重要なのがその屋台骨となる資金である。これは周知の様に世界中の多くの人たちから声援と共に支援を頂いている。ほんとに“感謝”の一言では言い尽くせない。国内外を問わず色々なところで募金活動やチャリティが行われ多くの方々がそれに賛同し参加をしている。僕も参加しないわけにはいかない。僕の懐は決して暖かいわけではないが、兎にも角にも出来る事は何でもしたい。ただちゃんとしたところで活動し、ちゃんとしたところに募金をしよう。それを見極めるのも一つの協力だと思う。また偽善といって非難する人もいるが、偽善であろうが多くの人が助かるなら偽善で結構。そんな非難は無視。

 国難、言わば内憂外患と言われる中での3週間が過ぎ、そして僕はこの活動からは一旦手を引く。この戦いは険しく長くなる、季節を追って必要なものも変わってくる。そのときはその時で対応できるようにしたいと思う。復興までの永続的な支援、そこで出来ることに態勢をシフトしていこうと思う。それは普通に自分に出来ること、自分だからこそ出来ることとして。誰かのためとかではなく、自分自身のこととして。

 因みに今ささやかながらやっていることは、極力買い物の時、500円玉とお札しか使わないこと。そしてお釣は全部募金。自分の贅沢指数で使うコイン又はその紙幣を選ぶ。今日は贅沢しちゃったなと思ったら、例えば今日は贅沢してコンビ二で高いお弁当買ってしまえ!と思ったら、5000円札を使ってお釣は募金。そうすれば“後ろめたさ”とか、“不謹慎”とかそんな後ろ向きな感情、少しでも払拭できるでしょ。そしてそれもまた評価や人目がもし気になるのならもっと派手にやれば良いことだし。声高々でいいと思う。

 話が長くなってしまったが、最後に。これまでに多くの死者、行方不明者が明らかになっている。25000人を下らないと。まさに大災害だ。この数字だけで、この災害の規模を語ることも出来る。だが、この25000と言う数の向こうには、その一つの命を尊く思い、大切だと思っていた人々が沢山いて、それに25000という数をかけた分の悲しみが渦巻き、その25000と言う人たちが生きたかった明日が街と共に失われてしまったということ、そして僕達が生きている今日というこの日がその彼らが生きたかった明日であったということ。そう考えると、この震災の本当の姿が見えてくるような気がする。

 僕の中には、まだ親を失って探しながら泣き叫ぶ子供の声、先立たれた孫や子を無念という言葉でしか表現できずに涙する人達の姿が脳裏に焼きついて離れないでいる。今でも折にふれ涙が溢れとまらなくなる。本当の意味での彼らの苦悩はわからない、でも理解しようとすることは出来る。ただ僕が流したその涙で人が生き返るわけでもない、街が復興するわけでもない。日本が元気になるわけでもない。悲しみの連鎖ばかりが広がっても、復興の日が早まるわけではない。経済も疲弊していくばかりだ。

 悲しみの連鎖を広げるのではなく、笑顔の連鎖を広げていきたい。それが何よりも活力になり、何よりも復興への近道になると僕は信じているから。これからもいつものように自分に出来ることをただただ粛々とやっていく。これまで以上の笑顔を持って。

 桜前線北上中、桜よ、日本中の心を桜色に染めてしまえ!

 Pray for Japan  Hope for Japan  Show your heart  Show my heart

  がんばろう日本  笑顔になれるその日まで   

  僕達はそんな言葉で繋がっている。

 

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2011年3月14日 (月)

被災された方々へ

心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興を願っております。

あまりにも悲しいい惨状に心が折れそうですが、

安全や災害に関わる事案には充分留意しながら

明日からまた自分にしか出来ない仕事、自分だから出来る仕事を

普段どおり一生懸命やっていきたいと思います。

そんなようなことが無傷である人の責務であり、

普段どおりの生活をすることがこの国の活力になり

それがいずれ必ず一日も早い復興へと繋がると信じるからです。

笑える人は、その笑顔を忘れずに頑張りましょう。

こんな時だからこそ。

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